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賞賛に値するニュースには、ブログなどで
賞賛の趣旨が正確に伝わる記事を投稿します。

逆に、これも個人感覚ですが、
納得のいかないニュースなどには個人的見解とした上で、
批判的な内容の記事を書きます。

発信源の全てが自分という個人です。

個人から出てくる言葉で作られる記事ですから、
個人のボキャブラリーや表現で作られるわけですね。


例えば、私は北海道の文化が好きで、
アイヌ民族の歴史を学んだりしています。

しかし、アイヌの歴史を語るだけで、
アイヌに対する差別表現であるとコメントされる事もあります。

"在日"とか"身障"という単語にも、噛み付きは多いです。


言葉狩りってこういう事かと発信者となって初めて、
その凶暴性に恐怖を感じる事が多いんです。

言葉狩りって、テレビや書物に対するものでしたが、
今、複数の人権団体が個人ブログやSNSでの発言を
注視しているとの報道を知りました。


表現の仕方は、誰だって気をつけなければいけない。

その意識を踏まえたうえで、


『表現の自由はあくまで、権力に対する表現の自由。
弱者に対しては、担保されていない』


この見解には違和感を感じます。

弱者の定義って何?誰にとっての弱者?

権力って言っても、福田総理とか
相当いじめられているから弱者ともいえる。

屁理屈をこねれば、誰だって弱者になれる。



ブログやSNSが普及し、個人が自分の考えを
ネット上で表現する機会が増えています。

その一方で、差別表現を知らずに書き込んでしまい、
他人を深く傷つける可能性も増しています。

これまでブログが“炎上”したケースでも、
差別意識を露呈した表現が問題視されたことが多いとの事。


差別表現 ブロガーも問われる責任と人権感覚
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080609-00000054-zdn_n-sci

 ブログやSNSが普及し、個人が自分の考えをネット上で表現する機会が増えている。その一方で、差別表現を知らずに書き込んでしまい、他人を深く傷つける可能性も増している。これまでブログが“炎上”したケースでも、差別意識を露呈した表現が問題視されたことが多い。

 「ブログの発展が一番恐い。これまでテレビや映画、新聞が差別を拡大再生産させてきたが、もっとひどいことが起きてしまうのでは」――小学館で差別表現問題に取り組み、多くの実例を集めた「改訂版 実例・差別表現」(ソフトバンククリエイティブ)を出版したジャーナリストの堀田貢得さんはそう危ぐする。

●差別表現とは

 同書によると差別表現とは「他者の人権を侵害し、人間性を深く傷つけ、苦しめ悲しませるような表現」。誰もが持つ基本的人権――自由と平等の権利や人間らしく幸福になる権利――を侵害するような表現だ。

 差別意識が向けられるのは「弱い」人たち。日本では被差別部落出身の人々や、さまざまな障害を持つ人、在日外国人、アイヌ民族、女性、老人、子どもなど。世界に目を向ければ、少数先住民族や黒人などが、いわれのない差別の対象になってきた。

 出版やテレビ業界は、差別表現について、1960年代から人権団体の激しい糾弾を受けてきた。人権団体が番組や記事、広告などで差別表現を見つけると、責任者を呼んで糾弾会を開き、根底にある差別意識を厳しく問いただす。場合によっては謝罪広告を出したり、書籍や雑誌の場合は絶版になるなど、経営的にも痛手を受けることになる。

 糾弾の経験を経て学習したマスメディアでは、自主規制が進んだ。堀田さんが小学館在籍当時にいた部署も、自主規制の最前線。差別表現に関するレクチャーを開いたり、編集者からの差別表現に関する問い合わせに対応し、「なぜその言葉がダメなのか」を、納得するまで説明していたという。

 堀田さんが心配するのは、そういった経験のない一般個人が、ブログなどを通じて、自由に情報発信するようになった現状だ。SNSの日記やケータイ小説、バナー広告の宣伝文句――ネットが広げた表現手段すべてに、差別表現の危険がひそむ。

 「テレビでも雑誌でもネットも同じ。表現者は、何が特定の人を傷つけるかに思いをはせ、表現するための知識を持たなくてはならない。それを全く意識せずに発信している人がいるとしたら、強い危ぐを感じる」

●ブロガーも糾弾のターゲットに

 人権団体は最近、ネットを注視しているという。「人権団体はネットを“難しいメディア”ととらえ、真剣にウォッチし、ターゲットにしている。差別表現や問題のある記述は、発見される可能性が高い」

 以前は文書で郵送されていた抗議文がメールで来るケースが増えるなど、差別表現の指摘にもネットが使われ始めた。例えば、週刊誌に掲載された漫画で、ホームレスに対する差別表現があったケース。一般読者名でメールで抗議文が来たが、「編集長が木で鼻をくくるような回答をしてしまった結果、相手を怒らせ、話がこじれてしまった」。

 問題を最小限にとどめるには、メールで指摘が来た場合でも、直接会って話すことが大切という。この週刊誌の場合は、メール対応の後、ホームレスを支援するNPOなどの連名で抗議文が届き、担当編集者、漫画家、編集長を交えて何度か協議。雑誌とWebサイトに謝罪文を出すことなどで決着したしたという。

 糾弾の対象は企業だけではない。作家の発言や、一般人が公的な場で発言した内容が問題になり、糾弾会が開かれたこともある。ブロガー個人が糾弾の対象になる可能性は、決してないとは言えない。

●「人権感覚」を醸成するには

 どうすれば差別表現のないブログを書くことができるだろうか。「この言葉はOK」「この言葉はダメ」というマニュアルがあれば便利のようにも思えるが、堀田さんは「マニュアルには意味がない」と指摘する。「マニュアルを作り、言葉を言い換えるだけでは、人権感覚は醸成されない」

 単なる言葉の言い換えで満足するのはなく、差別とは何かを理解・整理し、差別による不幸を認識し、人権感覚を醸成する必要があると堀田さんは指摘。そのための良書として、島崎藤村「破戒」を推奨する。

 破戒は、被差別部落出身の若者を主人公にした小説。発表と同時に差別文書として水平社から批判を受けたが、歴史的事実と差別問題に関する詳細な解説を入れて出版するという妥協点を見い出した。解説と併せて読むことで、差別問題を根本から学ぶことができるという。

●差別は人間を不幸にする

 編集者が作家に差別表現を指摘し、修正を求めると、「言葉狩り」と反発したり、「表現の自由」を盾に修正に応じない人も多い。だが堀田さんは、井上ひさしさんの発言を引いて言う。

 「井上ひさしさんは『表現の自由はあくまで、権力に対する表現の自由。弱者に対しては、担保されていない』と指摘した。差別は人間を不幸にする。表現者は、差別とそれによる不幸を認識し、言葉による痛みを和らげる配慮を持つべきだ」

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